2005年05月06日

憲法改正-憲法記念日-

恒例の憲法記念日と見過ごしては、いけなくなりそうですね。
これまで、旧社会党、今の社民党と共産党を中心とする護憲派、
自民党などによる改憲派、
そのほかにもいろいろな主張がされ、無事これ連休のはじまりでした。

しかし、国会議員の3分の2の改憲賛成が見込まれる状況となると、
いささか、身近なことに考えなといけないのでしょう。
最終的には、国民投票の過半数で改憲をすることになるそうですが、
現状の予想では、改憲派に賛成の人より護憲派の人の投票が上回るでしょうから、
改憲はできないとのことです。
護憲に賛成の人は、ある種の危機感から投票に出向きますが、
余程のことが生じない限り、
無党派の人は改憲のためにわざわざ投票場に出向かないだろうからです。

国民投票のあり方に投票行動が左右されるということで、
ひと悶着ありそうです。

私は中途半端なノンポリで大学時代をすごし、
少し後ろめたい思いで、いわゆる大企業に就職し、
すっかり体制―この言葉自体、今や死語ですが―に埋もれながらも、
これまた中途半端な気持から抜けきれない。
まさに、未熟な団塊世代です。

しかも、家族主義的企業に違和感をいだきつつも見かけ上は順応し、
目先の企業間競争と自分自身の保身につとめながらも、
我国は若干の変動はあるものの途切れることなく経済成長をとげ、
福祉国家を目指すと思っていました。
あのバブルの時代、私はその恩恵にあずかることもなく、
まわりを見れば後輩達に追いぬかれていました。
それはともかくとして、
バブル経済後は福祉国家という言葉を聞かなくなりましたし、
国家理念を聞くこともなくなりました。

最近の空気は、「小さな政府」と「自己責任」が国のめざすものとも思えます。
しかし、「小さな政府」は、既得権に遅々と進まず、
一方「自己責任」のみが進みそうです。
この時に、憲法改正が現実化するのも一種の‘閉塞感からの脱出’なのでしょうか。
「自己責任」を追求していくと、
「国家の戦争」に参加しない自由も認めざるを得ないのではないでしょうか。
個人など国家権力からすれば、微々たるものですから、
法律という大義でなんとでもなるでしょう。
だから、国家権力に限界を設け、基本的人権を守るのが憲法でしょうね。

『昭和憲法』を読みましたが、うまくできていますよね。
確かに第9条と自衛隊の関係には違和感があります。
自衛隊を戦力として明文化し、
その武力装置のシビリアンコトロールを明確にするのが良いと思います。

高校生の頃、「倫理」の授業中、先生が教室の上を飛ぶ自衛隊の飛行機音を聞いて、
「あの飛行機1機で貧しい人がどれだけ助かるか」と言ったのが、
いまだに記憶に残っています。
それにも私は違和感がありました。
当時は、ソ連、中国などの共産主義国家との冷戦時代であったせいもあります。
今なら、北朝鮮ですね。

憲法前文は、三島由紀夫か石原慎太郎のいずれかか
二人ともが言っていたと思います。
「日本の歴史、文化が一言も書かれておらず、日本人としての誇りが醸し出されない」し
「日本語としても、なっていない。」と記憶していますが、違ったら、ごめんなさい。
私が言うのもおくがましいのですが、『明治憲法』に比べれば「わかりやすい」と思います。


一部権力者のために国が滅ぶよりも、
たとえ衆愚政治と言われようとも国民投票による多数決で
滅ぶほうを選びたいと思います。


posted by 友よ!! at 18:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

国民投票法見通し立たず 憲法論議足踏みー市民を作ったたった一枚の紙切れ
Excerpt: もう、国民投票案なんか、どうでもいい。 国民に、憲法を判断する力ありませんから!判断する時間もありませんから! 憲法の人気投票なんか、どうでもいいですから。まともなもの、作ってくれればいいですから。 ..
Weblog: 回り道日記帳
Tracked: 2005-05-15 15:25
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。