2005年04月21日

中国の反日デモ

反日デモのスローガンをテレビでみると、
我邦の歴史認識に対する反省がされていなにもかかわらず、
「常任理事国に入りたい」などもってのほかだ、ということなのでしょう。

私のような優柔不断かつ気が短い性格からすると、
「そんなにあなた達がおしゃるなら常任理事国になりません。」
「その代わりと言っては申し訳ないのですが納付金を減らしてもいいですよね。」
「直接、困っている国に寄贈します。そのほうが感謝されるでしょうし、大きな声では言えませんが、我国の経済的メリットもありそうですから」と言ってやりたくなりますが、
そう言うわけにもいかないのですかね。

きっと、我国の外務省をはじめ政治家の皆さんは、
「世界で名誉ある国」「世界から尊敬される国」であるためには、
常任理事国入りは戦後の目標なのでしょうね。

ところうで、「常任理事国入り」してなにをやるのでしょうか。
発言力がまして自国の富が増すのでしょうか。
貿易立国の我国にとって、世界平和が大切だといって、世界平和を唱えるのでしょうか。
なんだか強いものに味方する重臣にも思えます。

この際、「近隣国の共感をえられないのであれば、常任理事国入りは断念します。」と、
言えば共感が得られるのではないでしょうか。

歴史認識て何なんでしょうかね。

私は戦後の生まれですから、戦争は観念的にしかわかりませんが、
「合法的殺人」「合法的強姦」「合法的強奪」など人間の動物的強暴さが頂点に達する状態だと思います。現場に遭遇すれば、国際条約など信じられないと思います。
戦争は、指揮命令で動くわけですから、余程、しっかりした指揮官が、やるべきこと、やっていけないことを指揮命令しないかぎり、勝つため、そして勝てば、すべてやってよいことになりかねないのだと思います。

結果は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」。これが歴史の評価ですよね。

「靖国神社参拝」は、
A級戦犯が昭和53年秋に合祀され昭和60年に中曽根元首相にはじまったそうですが、
「公式参拝ではなく」、「個人参拝です」とするべきではないのでしょうか。

個人がどこにお参りするのも、その人の信仰の自由ですから。
その政治家の信仰がいかなる政治哲学として結実し行動するのかは、
選挙で決められるのですから。
政治哲学として堂々と語れば言いと思います。

先ごろ、「選択」http://www.fujisan.co.jp/Product/1281679590/ap-99qq
2月号で「靖国神社〜A級戦犯分祀がありえない理由」を読んだとき、
これは、まさに宗教問題だと思いました。
霊魂をどう考えるか、これはまさに宗教であって、単純に慰霊祭と考えられないなと思いました。

posted by 友よ!! at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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